11月7日

誕生日まであと少しです。

11月7日

 別に今年の誕生日で節目の歳になるわけでもなく、ごくごくなんでもない32歳になるってだけなんだけど、いい機会なので人生を振り返って見ようと思います。今日は幼稚園児まで。

 1986年11月16日、誕生。誕生時のエピソードなんで覚えてるわけがねえ。なので、親から聞いた話と自分の記憶に残ってるエピソードだけで構成します。

まず名前。
女の子が生まれたら母が名前をつけるって約束だったらしい。男の子だったら父。しかし私が生まれた途端父が名前をつけたそうだ。母は未だに恨み節を口にする。
私自身は下の名前の読みは気に入ってるけど漢字は全く気に入っていないので、公的書類以外は平仮名で名前を書いてるし、母と父にも「自分の名前の漢字が嫌いだ」とは言ってある。父はそれでもめげないので良い奴だなあ~って思います。由来もクソほど薄っぺらいしなんなら漢字は当て字です。もっと真面目に考えろ。

次に私が忽然と姿を消した事件。
当然記憶にないんだけど、近所で遊んでた女児が母が目を離した隙に通りがかった車のあとをついて行き行方不明になったらしい。方方探して警察に連絡をしようとした時、バックミラーで車の後ろを女児がついてきてることに気づいた運転手がゆっくり車を走らせながら来た道を戻り、無事に母の元へ返されたそう。いや、車に乗せてやれよ……と思わないでもないけど、距離もスピードも不明ながら走ってる車について歩く女児すごくない?私なんですけど。

幼稚園はちょっとだけ悲しい。
なぜなら私が通ってた幼稚園はもうかなーり前に取り壊されてしまったから。広い園庭とふるびた建物とめちゃくちゃ手の込んだ先生お手製のレジスターのおもちゃ(ダン箱と色紙とスポンジ製?大きいボタンを押すとお金入れる引き出しが出てくる仕組み。すげえ)とピカピカの廊下に可愛い飾りがいっぱいの教室。
年長の時私は多分さくら組だったと思うんだけど(年中入園。年中時の記憶はない)、隣のきり組の先生がめっちゃ好きだった。美人で優しくて。モデルもしてた先生で、車雑誌?冊子?かなんかの表紙に先生が出たやつをねだってゲットした記憶。あと週に1回か月に1回、別の組の教室で業者のお弁当を食べれる日があったんだけど、その日は朝からソワソワしてお昼のチャイムが鳴った瞬間にきり組にダッシュしてた。定員制で早い者勝ちだったから。友達がきり組にいるわけでもねえのに。さくら組の先生の記憶はほとんどないので幼児って本当に残酷な生き物ですね。
あとは連絡帳のやりとりだけで、帰りに他のバスに乗せられて友達のとこに遊びに行ったり、私の帰るバスに友達が乗ってうちに遊びに来たりしてた。母親同士のネットワークにより、彼女たちは時々自分の時間を作ってたんですね。先生との連絡帳だけでそんなことがまかり通ったゆるい時代の話です。
当時の友達で小学校も一緒だった子たちのことは当然覚えてるけど、幼稚園時代だけの友達のことは一切覚えてねえ。結婚を約束した男児がいたはずなので時々思い出してくれ。顔も名前も覚えてねえけど時々「お姫様ごっこするから来て!お姫様やってね、ぼく王子様だから」って別の教室の私を誘いに来てくれたことだけは覚えてるよ。ありがとう。楽しかったです。
年中か年長か定かではないけど、ある日家族でバナナワニ園に行くって日に私が高熱出したことがあった。うちの親どうしたと思う?旅行を決行したんだ。熱で朦朧としてる私は当時の写真を見てもとても体調が悪そうです。なんで決行した?以前母親に聞いてみたら「前から計画してたから……」って言われた。現代だったらめっちゃ叩かれるからな。全く記憶もないんだから幼少期の旅行なんてもんは本当に親の為にあるものなんだと思う。高熱の娘を連れて行って良さげなとこに立たせて力ないピースをさせてニコリともしてない娘を撮った写真、意味ある?

 今日はここまで!明日は小学校時代を振り返ってみます。今日も一日お疲れ様でした。ちなみに明日はスイパラ行ってきます。ヒプマイだから……。甘いもの苦手だけど……。

おわり。